先週「弱さを光に」というテーマで
親御さんだけでなく、そう診断された御本人、学校の先生、薬剤師さん、いろんな分野を学ばれておられる方、保育士さん…
皆さんにお伝えした
私の経験の中での想いを残しておきます。
「発達障がいは個性」というコトバが一人歩きしている気がします。
その個性の為、その人が生き辛くなっていても、そう言えるのかな。
◆まわりの理解と支援で「個性」になるかもしれない◆
そう思うようになりました。
「個性」ってコトバ自体が曖昧で…
私が当事者だったら、そんな風に言われても納得なんてできない。
「障がいを受け入れて」って言われて
心から受け入れること、コトバではそう言えても。
受け入れることできない、が心の声だと私は思います。
でも、向き合いたいって思う時がくるかもしれない。
我が子を想う気持ち、自分を想う気持ち、人を想う気持ちは
コトバで納得できたら楽だけど
そんな浅いものではないと、思うのです。
人が生きやすくなる為に、何ができるかな。
結局、そこに返ります。
生きにくいと感じていたら
SOSを出してくれたら、その人にはなれませんが…寄り添いたい。
一人ひとりにとって、そんな存在ほど心強いものは無い。
私もピンチの時は、SOSを出せばいいのか!って
シンプルな想いになります。
寄り添いたいと言う自分もおこがましい…
いろんな状況の方たちとかかわる中で、そう感じる時もあったけど
誰も寄り添えなかった結果、命が消えた時もある。
後悔しか残りません。
発達障がいは、見えにくいです。
まわりの無理解により、不登校・非行・神経症・ひきこもり・鬱etc.
その次の障がいに繋がるケースも大きい。
学校の先生が
教育現場の予算や制度や現状に縛られ…想いだけでは難しい面があること。
率直に伝えてくださり、痛感します。
絵本「たっちゃんぼくがきらいなの~たっちゃんは自閉症~」
私は保育士になってからずっと
子どもにも、大人にもこの絵本を読み聞かせしています。
私がコトバにできない想いをいつも届けてくれるからです。
一人ひとりが少しでも生きやすくなれたらいいな!
統合保育の中で、弱さを抱える子たちに対して、その弱さにとって伝わりやすい保育内容(マカトンサイン・次の行動をカードや写真、実物を見せて伝えるetc.)
それらも少し紹介しました。