保育が必要な人のところへ届ける保育士

さな日記
さな日記 数年前からnoteという場に、私の実践や想いを伝えています。
最新情報は、こちらnoteよりご覧ください。
あたらしいカタチの実践のヒントや皆さんが動くキッカケになれば幸いです。

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◆誰にでもできる仕事◆

カテゴリ : 家族
そんな仕事あるでしょうか。

すべての仕事を尊いと感じます。

「人」が大切だったら、そんな風に言えるかな
って、私は思いました。

もしかしたら
突き刺された指を自分たちに向けた時

福祉にかかわる人間が
そんな風に思っていないか

「誰でもできる仕事」だと。

だから、営利目的の施設が増え
子どもたちは、そこでひたすらTVを見ていたり

死亡事故が起こったり

虐待が起こったり
 
 
子どもくらい、ママ一人でみれるだろうって
すべてがママの責任、誰にも頼れず
鬱になったりそのしわ寄せは、ぜんぶ子どもたち。
 

 
大人が上で、子どもが下のような
世の中の多くの人に
へんな上下関係の思いこみがあるかもしれません。

子どもも大人も「横と横」の関係が大切って

口で言うのは、とても簡単ですが

涙がでた。

そのくらい、影響力あるのもすごい

そんな方たちに
「保育士ほど、尊い仕事はない」って
言ってもらえる社会を目指して

その方がみた保育は
「誰でもできる」ものだったのかもしれません。

いつか、ホンモノの質の保育や療育
大人がどれだけ本気で学び、子どもとかかわり
内容をつくりだしているか

命と向き合っている現場をみに来てください!

よかったら、体験してみてください!

賃金低くて重労働、腰は痛いし
拘束時間は長く、休みも少ない
でも「人の心」は
たくさんたくさん、そこにあります。

 
人が大切だから、ふんばれる仕事。

私は、現場でふんばっている仲間の声も届けます。

すべての人に、伝えたい想いです。
2019-04-01 14:35:57

◆病児保育を考えてたら「命」になりました◆

カテゴリ : さな保育
子どもも大人も体調を崩しやすいこの時期。
特に小さい子たちは
症状をぶり返したり、回復に時間がかかり…

やっと保育園!幼稚園!
と思っても、仕事中電話がかかってくる…
キョウダイ順番に、症状が…

身動きとれない大人(特にお母さん)が参って、滅入る気持ち
よくよく、よーくわかります。

〈病児保育〉病気の子どもを保育する。
実際、病児保育の施設や運営は、とても難しいと言われます。

病気は、突然やってくるからです。
計画通りには、いかない上に
子どもは(大人も)いつもの元気な状態ではありません。

そういう状況の時
いつもと違う場所、いつもと違う人の中で保育。
体を休める環境が完璧だったとしても
子どもの心はとても疲れるような気がしてなりません。

子どもにとって「生きやすい」状況をつくってあげたい。
体と心が元気じゃない時ほど
ホッと安心できる場所と信頼する人の中で…
それが私の理想の保育です。

弱っている時
お医者さんのように診察できませんし
薬剤師さんのようにお薬を渡してあげることも
私たち保育士はできません。

でも、心の元気が体の元気に繋がるよう
そのケアと環境作りはできると思うのです。

昨日、出張保育でお伺いしたお宅。
真ん中の男の子が前日までウイルス性の風邪、やっと登園!
…と思いきや、年長お姉ちゃんが夜中から高熱。
と思いきや、朝から10ヶ月の末っ子ちゃんも熱…という状況。

なので。昨日、私の保育プログラムは
〈病児保育〉になりました。

はじめにカタチを決め、体制を作ってしまうと
状況が変わった時に、臨機応変対応が難しくなります。
保育園や施設だけでなく
病院や企業なども少なからず共通点がある気がします。

でも、制度や思い込み
人手や経営、お金、一人ひとりの背景などにより
「想い」だけでは変わらない現実もあります。

SANA保育は
「目の前にいる人の生きやすさ」を追求したい。
〈病児保育〉は、病気の子を抱える「大人」に寄り添いたい。

普通の保育のカタチと違うので
大きな責任と大きな知識を常に持っていないと
信頼してもらえないことも承知しています。
だから、私の視野をどれだけ広げることができるか。

ただ、これまでの実践を通して
きれいな心で、本気で相手の生きやすさを想い
相手以上に相手の幸せを願い動いた時
信頼関係は必ず生まれる…と私は
2019-04-01 14:35:10

◆発達障がいは個性ですか◆

カテゴリ : さな保育
先週「弱さを光に」というテーマで
親御さんだけでなく、そう診断された御本人、学校の先生、薬剤師さん、いろんな分野を学ばれておられる方、保育士さん…

皆さんにお伝えした
私の経験の中での想いを残しておきます。

「発達障がいは個性」というコトバが一人歩きしている気がします。
その個性の為、その人が生き辛くなっていても、そう言えるのかな。

◆まわりの理解と支援で「個性」になるかもしれない◆
そう思うようになりました。

「個性」ってコトバ自体が曖昧で…
私が当事者だったら、そんな風に言われても納得なんてできない。

「障がいを受け入れて」って言われて
心から受け入れること、コトバではそう言えても。
受け入れることできない、が心の声だと私は思います。
でも、向き合いたいって思う時がくるかもしれない。

我が子を想う気持ち、自分を想う気持ち、人を想う気持ちは
コトバで納得できたら楽だけど

そんな浅いものではないと、思うのです。

人が生きやすくなる為に、何ができるかな。
結局、そこに返ります。

生きにくいと感じていたら
SOSを出してくれたら、その人にはなれませんが…寄り添いたい。
一人ひとりにとって、そんな存在ほど心強いものは無い。
私もピンチの時は、SOSを出せばいいのか!って

シンプルな想いになります。

寄り添いたいと言う自分もおこがましい…
いろんな状況の方たちとかかわる中で、そう感じる時もあったけど
誰も寄り添えなかった結果、命が消えた時もある。
後悔しか残りません。

発達障がいは、見えにくいです。
まわりの無理解により、不登校・非行・神経症・ひきこもり・鬱etc.
その次の障がいに繋がるケースも大きい。

学校の先生が
教育現場の予算や制度や現状に縛られ…想いだけでは難しい面があること。
率直に伝えてくださり、痛感します。

絵本「たっちゃんぼくがきらいなの~たっちゃんは自閉症~」
私は保育士になってからずっと
子どもにも、大人にもこの絵本を読み聞かせしています。
私がコトバにできない想いをいつも届けてくれるからです。

一人ひとりが少しでも生きやすくなれたらいいな!
統合保育の中で、弱さを抱える子たちに対して、その弱さにとって伝わりやすい保育内容(マカトンサイン・次の行動をカードや写真、実物を見せて伝えるetc.)

それらも少し紹介しました。
2019-04-01 14:34:30

◆内面(心)が育つとコトバが出る◆

カテゴリ : さな保育
長年の統合保育の中で、経験しました。今も、そう信じて保育しています。

2歳児クラスで「発達遅滞」と診断された
原因わからないけど、言葉が出ない男の子の担任をしていました。
その時話す内容は、喃語程度のものでした。

不思議なもので、コトバの有無は関係なく
子どもたちのあそびは、その子の経験を広げる内容
(それが、五感に刺激を与えるあそび・昔ながらのあそびでした)
にするだけで、あそび込めました。

医療機関とも手を繋ぎ、月に一回
お母さんと私で、発達診断とカウンセリングへ。
年長クラスになる頃、3歳児程度の言葉のやりとりができるようになりました。

彼は
運動面の発達もゆっくりでしたが…
この保育内容やお母さんの「経験を広げてあげたい想いとかかわり」
によって、脳を使う
 
2019-04-01 14:33:19

◆泣くことは、コトバのはじまり◆

カテゴリ : さな保育
まだコトバを話せない赤ちゃん
コトバだけでは伝えきれない乳幼児とのかかわりの中で
子どもの「泣き」に参っておられる大人の姿をよく目にします。

我が子が泣いている様子を見て
心配だったり不安だったり泣き止ませなきゃ!と
がんばる大人の気持ちも、よくよくわかります。
人に見られてる時ほど、焦って、余計にそうなる気がします。

でも、泣き止ませようとすればするほど
悪循環に陥る経験をされるお母さんも少なくないのでは

大人は感情をコトバで伝えることができます。
でも、まだ話す機能が未熟な子どもたちにとって
「泣くこと」は感情を伝える手段でもあります。

暑い、寒い、お腹すいた、眠い、イライラ、気持ち悪い…etc.

心地好い感情の時は
穏やかな状態で、笑みや声(喃語)も出ます。
「泣きの原因」を取り除いてあげると、穏やかになる
小さいながらに、一生懸命コミュニケーションをとろうとしています。

コミュニケーションが
人間だけにある「本能」だとしたら

言葉が話せる人間の出発点は「泣くこと」や「笑うこと」
見えない内面を訴えることが、コトバのはじまりだと思うのです。

赤ちゃんが口元に何かくると、吸おうとするのは反射のひとつです。
そういうことも、すべてコトバ(発音)に繋がっていると思うと
「泣き」も必要なことと捉えることができます。

(
子どもの発達を学び、以前書いた「後退も成長と捉える」
自分の保育の軸がみえてから、子どもの泣きにビビらなくなりました(^-^;))


2019-04-01 14:32:24

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